少し古い話題なのかもしれないけど、数日前にこちらの漫画が話題になっていたらしい。








このブログで曲がりなりにも批評なんかしている私としては(偉そうな言い方だけど)一言言わせてもらいたい。


バカかと。



この子(あえて筆者ではなく主人公に言おう)の主張は「アニメを否定されたら好きだったものを好きで無くなってしまった」というもの。

アニメを例に出してはいるけど、論調を見るに「誰かが好きなもの」を指していると考えていいだろう。要は創作物全般どころかありとあらゆるものに該当する話だと思う。


 
それらを批判する行為を糾弾しているわけだ。

一応「知って欲しい」くらいの柔らかい表現で締めているものの、論旨は糾弾と言って差し支えないものだと思う。

「批判は何も産まれない(「産まない」の間違えだと思う)」という言葉からはありありと「批判はやめようぜ」という主張が伺える。



つまり、映画を一緒に見たというエピソードを引き合いに出して「批判はやめろ」と主張する漫画だというわけだ。言うまでもなくこのように感じた人が多いことだろう。




いや、待て。

アニメを批判するのは駄目で、思考や思想(批判と呼ばれているメガネの言動)を封殺するのはいいのかよ。


煽りでもなんでもなくこの子に尋ねたいんだけど、それは何故?


「俺はいいけどお前は駄目」なんてジャイアン的な発想から?
それとも上記の"誰かが好きなもの"に限定しているから自分の言は当てはまらないのか?







詳細が不明なので確証は無いけど、漫画を読む限りメガネは頭ごなしに否定しているわけではなく、ちゃんと見た上で自分の意見を言っているだけのように見える。

その意見を言うのをやめろと。
 

この辺を加味して読むと、この子が言っていることは「批判をやめろ」なんて生易しいものではないよね。

つまり「私の意に沿わないことは言うな」って主張してるわけ。ポル=ポトかお前は。



批判されても"私はこう思う"という意志があればこうはならん。こんなこと言うまでもないことだけど。

自分の意志が無いからこうなる。元々好きだったみたいだけど、それも好評価に影響されただけなんじゃねーの?
ネットで絶賛意見でも見て「やっぱりそうだよね!」って頷いてればいいじゃないか。




自分で物も考えられない、批判されたらそれに影響されてしまう、なら最初から意見を聞こうとしなさんな。


この子がこうならない為には、メガネは映画を見た後に嘘を言うしかないわけよ。








批判をするなという主張はマジでつまらない。

この漫画を受けて皆がそう思ってしまったら、世界は欺瞞で溢れてテレビの食レポみたいなそら恐ろしい状態になってしまう。

「このじゃがいもはお肉よりもジューシーでおいしいんですよ!」
「うわ本当だ」


普通のじゃがいもでも「いや普通やんけ」なんて言ってはいけませんし、これを目の当たりにして「本当か?嘘だろ」なんて言ってもいけません。批判禁止社会です。

このじゃがいもをおいしいと思っている人の思い出をぶち壊すことになります。

  



まぁ、確かにメガネの言い方も悪い。さすがに一言目から「駄目だね」は無い。あと相手の意見も聞け。

相手がどういうスタンスかわからない内は柔らかい表現をした方がいいだろうね。だからといってこれは思いやりの部分で、そうであるべきなんて言論統制は好かん。やるとしたら反論。

この漫画の主張が「映画見た後に目の前で批判すんなよ・・・」に一貫していればまだわからんでもないんだけどな。 






彼女のことを色々と批判してきたけど、さて、これを聞いてこの子は何て言うんだろう。

この俺の大切な思い出をぶち壊してくれるなよ。





ここまで言っておいてなんだけど、私が言いたいことはこんなことではない。

でもとりあえず暴論を暴論として扱わないことには、これを読んでいる人に「いやそもそも相手は独裁者ですし」なんて思われかねないからな。

どうぞ自分の思い通りのことしか言わない友達でも探してくれ。ネットはもう見るなよ。



批判を封殺することは否定しないけどね。それも一つの考え方だし好きにやるといい。けど友達には欲しくないタイプだな。向こうもそうだろう。


この漫画のラストのコマにある言葉が「批判が嫌なら耳と目を閉じ孤独に暮らせ」なら賛同できる。





批判スタンス


私のブログやツイッターでも何かを批判することはあると思う。そのスタンスなんかを書こうと思う。


基本的に私の言うことは「俺はこう思う」というだけで、付け加えるなら「お前はどう思う?」くらいのもの。

別に私が面白くないと思ったからって面白いと思う人が居ていいしそれは当たり前で、コメントなんかで「バカ野郎面白いだろうが」と言ってくれたらむしろ嬉しい。

反対意見を突き合わすことに面白さを見出してるのかも。もちろん「ねー面白くないよねーそうだよねー」と一緒にこきおろすのも楽しいけど、違った意見を聞くと「そういう考え方もあるのか」って発見があるでしょう。


それと、上で"批判に流されてる""自分の意思が無い"と言ったけど、違った意見を咀嚼した結果そちらに同意することだって当然あるし、逆に、論破されても「でも俺は好きなんじゃあ!」ということもある。

自分の考えというものを明確に持っていれば、結果的に違った意見に同意したとしてもそれは自分の考えが変わっただけであって、思い出をぶち壊された!なんてもっての他よ。ぶち壊したのはメガネじゃなくてお前だって話。


ああ、いかんまた話が戻ってしまった。



私は普段どうしているだろうと思って考えてみた。

友達とあの映画どうだった?という話になると、やはり最初はお互いに探りながらって感じだな。


で、なんとなく相手の意思がわかったところで徐々にレベルを上げていく感じ。

最近だとパシフィック・リムの話をしたのを覚えてる。楽しかったから。


私のスタンスは"作品自体は良いと言われるのもわかるけど粗探しの方が楽しい"で友達は"絶賛"だったんだけど、そこはやはり気心が知れた仲ということで、議論は大体私が突っ込みを入れて友達がそれを否定して擁護するという形に終始していた。
結論としてはお互いに「良い映画だった」ということになった。

これさ、最初から私が批判をしなければ数分で話は終わってそれを覚えてすらいないと思う。

私が粗を指摘したからこそ議論に発展して楽しい会話になった。



つまりね、思い出になったというわけ。

この時批判から思い出が産まれたんだよ。


批判で思い出をぶち壊される人も居れば、それが思い出になる人も居るのよ。